DNAは二重らせん構造という対称性のある美しい構造をしています.DNAは,構造の頑強性があり,さらに,塩基配列情報に基づいて,形状や硬さなどの力学的な性質を変えたり,化学反応や相分離などの動的な現象を発現させたりできます.現在では,DNA二重らせん形成の統計熱力学的挙動は,自由エネルギー計算によってコンピュータで容易に予測することができ,静的な構造だけでなく,化学反応などを含む非平衡で動的な挙動も設計できます.
DNAはマルチスケールにおよぶ特徴的な分子物性や情報特性を持つ他に類を見ない物質です.一本鎖DNAは1 nmくらいで曲がってしまう柔らかい紐ですが,二重らせん構造になると60 nmの剛直な棒とみなせる硬さになります.DNAナノテクノロジーを利用すれば,1μmオーダーの頑強なナノ構造を合成することもできます.また,染色体DNAは,弛緩したコイル状態であれば1 mもあるのに,細胞核内では数μmに凝集した流動性のある動的なゲル/液体的状態になっています.この階層性はソフトマターに特有のシステムです.また,このような長い二重らせん構造の安定化には,長距離に渡って続く核酸塩基間のπ-π相互作用という電子の量子力学的な現象が強く効いているという点でも物理学的に興味深い分子です.一方で,その小さな物質の中に,数万遺伝子におよぶ大容量の情報を正確に保持できるだけでなく,ナノコンピュータ・ナノデバイスを作れたり,数万年も安定と期待されている大容量ストレージ(10億TB/g)も作れたりと,情報科学的な面でも特筆すべき特徴があります.DNAは,まさに,生命=ソフトマター×情報×非平衡性×ナノ・マイクロであることを体現している分子です.
また,細胞はfL〜pLの微小サイズの液滴(カプセル)であり,このような小さなスケールになると,液滴の界面張力や表面電荷,分子サイズや混雑効果,分子の少数性や反応のゆらぎ,強い非線形性や非平衡性など,mLサイズの試験管内での反応にはない影響が現れます.このような複雑で強いゆらぎがある系で,生命システムが化学反応で,どのようにして,安定で,効率よく,正確に分子情報処理を実現できているのかということは生命科学的にも興味深いですが,ナノサイズの分子コンピュータを作ることを考えると物理学的・情報科学的にも重要な問題です.
さらに,生命システムとエネルギー・熱・電子の流れのある非平衡系は重要な関係にあります.地球上の生命は太陽からの光エネルギーをうまく電子的なエネルギーに変え,生命活動に必要な仕事や情報処理を化学反応によって実現しており,このような観点でも,電子ナノデバイスや量子ナノデバイスの物理学とも関連があると考えられます.
生命システムは,物質を使って情報処理をする能力と,情報を使って物質を操作する能力を進化の過程で獲得した,特殊な物質の非平衡システムです.すなわち,生命システムは,物理・化学的な現象を用いて計算ができるということと,計算によって物理・化学的な仕事をすることができるということを示しています(自然計算).この自然計算の物理・化学的な原理に迫ることで,情報の物理の理解が進んだり,新しいナノコンピュータの開発が進んだりすることが期待されます.