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物質を使った新しい計算原理に関する情報科学 (Physical and Chemical Computing & Molecular Intelligence)

電子計算機だけではなく、分子、粒子、流体、量子、生物などの物質、物理系、自然現象を使った新しい計算手法である「物理・化学コンピューティング」の研究を進めています。生体内などで働くナノサイズの分子コンピュータの開発や分子プログラミング手法など新しい計算原理を開拓しています。たとえば、DNA演算による分子コンピュータでは、DNA配列という一次元テープ上の情報を読み取り、DNAのナノ構造が変わることが状態遷移になっていて、計算ができますし、化学反応による時空間パターン形成などもある種の計算になっています。細胞内での生化学反応ネットワークは分子反応回路による計算と言えます。つまり、生命システム自体がある種のコンピュータと考えられます(人工生命)。これらを実現するための分子反応手順はある種のアルゴリズムであり、分子プログラミングとも言われ、分子レベルの情報処理機構の設計論です。

また、物質、物理系、自然現象を電子計算機上でシミュレーションする「物理・化学シミュレーション」の研究も進めています。分子反応・遺伝子回路や複雑流体・自己駆動粒子・ゲル・ソフトマイクロマシンなどの系に関して、化学反応と物理現象がカップルしているようなマルチフィジックス・シミュレーションの開拓も目指します。分子の動き、化学反応、DNA論理回路などのシステムを微分方程式系でモデル化し、計算機上でのシミュレーションによってシステムの振る舞いを予測したり設計したりすることができます。マルチフィジックス・シミュレーションは、ナノテクノロジーからバイオ・メディカル・アグリ・エコ応用まで様々なシチュエーションで役に立ちます。

キーワード:(1)物理・化学シミュレーション・数値計算(分子シミュレーション、モンテカルロ・シミュレーション、流体シミュレーション、化学反応シミュレーション、複雑系シミュレーション、ALife/Boid/セルオートマトン); (2)分子コンピューティング、分子プログラミング、DNAコンピューティング、DNA論理回路、自然計算(Natural Computing)、バイオコンピュータ、Artificial Molecular Intelligence、ソフトロボット; (3) 生命情報学、バイオインフォマティクス

物理・化学コンピューティング:分子、粒子、流体、量子、生物などの物質や自然現象を使った新しい計算原理の開拓と物理・化学シミュレーション

10年、20年後の情報工学には、現在のようなバーチャル空間でデジタルによるコンピューティングとは異なる発想による新たな計算原理が必要になります。量子、分子、ゆらぎ、フラクタル、ソフトマター、分子ロボット、人工細胞、人工臓器、生態系、社会系など、様々な物理現象・化学現象に立脚した物理・化学コンピューティングを発展させれば、既存のコンピュータの性能を凌ぐ新しいコンピュータをリアルな空間で実装できる可能性があると考えられています。そのようなフィジカルなコンピュータによって、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する「超スマート社会(Society 5.0)」の実現にも貢献できるとされています。

自然界で物理・化学コンピューティングを実現しているのは我々生命システムです。脳神経系、免疫系、遺伝子回路などあらゆる生命現象はある種のコンピューティングであると考えられます。生命システムが情報処理をする基盤は分子反応です。したがって、分子反応によって情報処理システムが創れれば、生命の情報処理や自律性の秘密が分かるかもしれません。また、生物は生体分子の持つ物理化学的性質のほんの一部を利用しているに過ぎず、潜在的には、生体分子によるシステムには、より高度であったり、より科学的に興味深い仕組が隠れています。

本研究テーマでは、生体内で情報保持・伝達に関与するDNA/RNAや機能発現に関与するタンパク質といった生体分子を実際に使って、生体内などの従来の環境ではコンピュータが使えなかった環境でも機能するナノサイズのコンピュータの開発を行っています。また、そのような分子システムの挙動を数理的に理解するため、分子シミュレーション、モンテカルロ・シミュレーション、流体シミュレーション、化学反応シミュレーション、複雑系シミュレーション、セルオートマトン、Artificial Life (ALife) など、物理・化学シミュレーションと呼ばれる計算機上でのシミュレーション実験も行っています。

本研究の成果は、医薬応用、治療用ナノマイクロロボット、宇宙探査用小型自律ロボットの開発などに貢献できると考えています。また、学術的には、、生命現象の解明、バイオインフォマティクスを含む情報科学、分子コンピュータのプログラミング原理の開拓、分子ロボットの構築原理の解明、複数の現象が絡み合う複雑で階層的な現象を対象にした物理・化学シミュレーション法の開拓などにおいて貢献できます。

(1) DNA液滴を用いた分子コンピュータ

細胞内では、相分離した生体分子液滴が形成され、様々な生体プロセスを制御しています。この現象は、人工細胞や分子ロボットのような自己組織化された動的分子システムの構築に応用することができます。近年、このような動的な分子システムを構築するための手法として、細胞サイズのDNAの集合体であるDNA液滴と呼ばれるプログラム可能な相分離液滴が報告されています。

従来のDNAコンピュータは、数十マイクロリットルのバルクの水溶液中でのDNAの反応を利用し、結果の読み取りにも水溶液の蛍光値や電気泳動の画像などのバルクサイズの検出の仕組みを利用していました。このような方法だと、人工細胞やミクロな分子ロボットのための分子コンピュータの構築には向きません。そこで、当研究室では、細胞サイズのDNAの集合体であるDNA液滴に分子計算能力を搭載した液滴型DNAコンピュータを実現しました。この液滴型DNAコンピュータは、マイクロRNA(miRNA)と呼ばれる、診断バイオマーカーに使われる短いRNAを検出し、In1 ∧ In2 ∧ In3 ∧ ¬In4 の論理演算をすることができます。

  • Jing Gong, Nozomi Tsumura, Yusuke Sato, *Masahiro Takinoue, “Computational DNA droplets recognizing miRNA sequence inputs based on liquid-liquid phase separation”, Adv. Funct. Mater., 32, 2202322, (2022), DOI: 10.1002/adfm.202202322

(2) 物理・化学シミュレーションによるDNAナノ構造の解析

■ DNAをナノロボットやナノサイズコンピュータの材料として使う場合、まず、塩基配列で安定性や構造などを予測してから実際に実験することになります。しかし、実際に実験してみると予想外の挙動をすることもあり、その原因の追求には時間がかかることが多くなります。実験をする前からある程度の挙動が予測できていれば研究開発のコストが下がります。そこで、近年は、モンテ・カルロ法による粗視化分子シミュレーションによって分子のダイナミクスをコンピュータ上で予測する手法が広く使われるようになってきています。また、実験をした後にもその原因となるメカニズムを知るためにも、分子シミュレーションによる結果は様々な知見をもたらすことができます。実験では、ナノサイズの分子が実際にどのように動いているのか、直接目で見ることはできないが、計算機上の分子シミュレーションであれば、分子のダイナミクスの詳細を追うこともできます。

当研究室では、DNAゲル・DNA液滴・DNAナノ構造などを利用した分子コンピュータ開発を行っており、数値シミュレーションはそれをサポートするために使われています。以下は、oxDNAというソフトウェアを利用して計算した、DNAオリガミと呼ばれるDNAナノ構造の粗視化分子シミュレーションの例である。

(3) 自律型 DNA/RNA分子コンピュータによる論理演算

■ DNA/RNAの生化学反応を利用した論理演算回路(自律的DNA情報処理システム)を構築し,生体分子反応ネットワークで計算ができることを示しました.通常,生体内では,DNA情報から転写されたRNAの情報を読み取り,タンパク質を作って情報処理等の機能を発現していますが,このシステムでは,DNA情報から転写されたRNAで直接的に情報処理のための機能制御(分子反応のON/OFFスイッチング)を実現します.RNAが一時的な情報を持っており,情報ネットワーク上での通信を担います.ハイブリダイゼーション反応と酵素反応のキネティックな方程式をたてて,数値シミュレーションしたところ,実験結果を予測できることが分かりました.将来的には,生体内(in vivo)で動くナノサイズ情報処理マシンへ応用が可能だと考えられます.

  • M. Takinoue, D. Kiga, K.-i. Shohda, A. Suyama, “Experiments and simulation models of a basic computation element of an autonomous molecular computing system”, Phys. Rev. E, 78, 041921 (2008).
    (highlighted in Vir. J. Nano. Sci. Tech., 18, issue 19 (2008))
    (highlighted in Vir. J. Bio. Phys. Res., 16, issue 9 (2008))

(4) 自律型DNA/RNA分子コンピュータによる振動回路(オシレータ)

■ DNA/RNAの生化学反応を利用した論理演算回路(自律的DNA情報処理システム)を応用して,非線形振動子(RNAオシレータ)を設計しました.反応回路内では,あるRNA(X)が生成すると別のRNA(Z)の生成を活性化し,逆に,RNA(Z)が生成するとRNA(X)の生成を抑制するという関係になっています.これは,非線形科学で有名な Activator-Inhibitor System になっており,リミットサイクル振動を発生することが知られています.数理モデルとシミュレーションによる研究ですが,実際に実験でも実現できると考えられます.将来的には,自律的に駆動するナノモーターや生体分子反応システムの同期をとるためのクロックとして利用可能が可能で,ナノテクノロジー・バイオテクノロジーに貢献します.

  • M. Takinoue, D. Kiga, K.-i. Shohda, A. Suyama, “RNA oscillator: limit cycle oscillations based on artificial biochemical reactions”, New Generat. Comput., 27, 107-127 (2009).

(5) ヘアピン型DNA分子の平衡論的・速度論的な反応制御によるDNA分子メモリ

■ ヘアピン型DNA分子の二次構造形成の安定性とハイブリダイゼーション反応速度に関する基礎的な知見を利用して,分子による双安定系(分子メモリ)を構築しました.生体内のDNAは塩基配列自体で遺伝情報を記憶する不揮発性の read-only メモリだが,このシステムではDNAの分子構造の形態変化によって情報を記憶する不揮発性の rewritable メモリを実現できました.生体内での分子の利用方法にとらわれず,物質の性質として可能であることを示しました.これは,物理化学的には,最安定状態へのアニーリングによる書き込みと,準安定状態へのキネティックトラップによる消去で成り立っています.

  • M. Takinoue, A. Suyama, “Hairpin-DNA Memory Using Molecular Addressing”, Small, 2, 1244-1247 (2006).

(6) 塩基配列設計

■ 塩基配列設計:DNAコンピューティング・DNAナノテクノロジーを研究する上で最も重要なのが、適切な塩基配列設計を行うことである。情報科学、特に、バイオインフォマティクスの分野で培われた技術を応用して、塩基配列設計を行う方法論を開拓しています。

  • T. Kitajima, M. Takinoue, K.-i. Shohda, A. Suyama, “Design of Code Words for DNA Computers and Nanostructures with Consideration of Hybridization Kinetics”, Lect. Notes Comput. Sc., 4848, 119-129 (2008).